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「with/after コロナ」におけるワーク・フロム・ホームを考える その5

松田 幸裕 記


新型コロナウイルスの拡大が止まらず、3回目の緊急事態宣言となりました。しかし、街中は「出歩いても気まずくない」という空気になっていて、政府や自治体が狙っている人流抑制はうまくいっていないようです。

最近になって橋下徹氏が「人流抑制という根拠のない一律の対策ではなく、対策方法はあるはず。積極的疫学調査などで得た情報は紙ベースであり、データとして活用できていない。これは大きな問題。」と発言されていたのを聞きました。私も強く同意します。

私自身、昨年5月に東京都で行われた「新型コロナウイルスを克服し、東京の未来を創るアイデアを募集します!」という募集に対し「データの収集と活用」を中心とした対策をアイデアとして送りましたが、残念ながら採用されませんでした。今もそうかもしれませんが、データが不足しているという問題を認識している人は当時ほとんどいなかったと感じています。確か、同時期にテレビで放送された「日曜THEリアル!・Mr.サンデー発 宮根×太田 今こそニッポン変えませんか?SP」という番組だったと思うのですが、ここでOWNDAYS社長の田中修治氏が「これだけの感染者がいるのに、なぜそこからもっとデータを採って分析し、解決策を見つけようとしないのか?」と問題提起されたことを覚えています。しかし、結構な著名人が出演されていたのですが、この問題提起に対しての反応は薄く、「いや、データはありますよ」くらいに軽くあしらわれて終わってしまい、私もがっかりしたことを覚えています。

政府や自治体のみでなく企業にも言えることですが、今見えるデータをすべてのデータだと思ってしまう傾向が、人間にはあるのかもしれませんね。データドリブン経営への大きな壁がここにある気がしました。

今回も前置きが長くなりましたが、本題に入ります。3月の情報ですが、国土交通省より「「テレワーク」実施者の割合が昨年度から倍増!~令和2年度のテレワーク人口実態調査結果を公表します~」という情報が公開されました。今回はコロナ禍ということもありテレワーク実施者が昨年度から倍増していますが、これは驚く話でもないためスルーし、別のポイントをピックアップしてそこから話を広げてみたいと思います。

テレワークを実施してよかった点、悪かった点

テレワークを実施してよかった点、悪かった点がアンケート結果として出ています。

  • よかった点
    • 通勤が不要、または、通勤の負担が軽減された : 約74%
    • 時間の融通が利くので、時間を有効に使えた : 約59%
    • 新型コロナウイルスに感染する可能性がある中で出勤しなくても業務を行えた : 約43%
  • 悪かった点
    • 仕事に支障が生じる(コミュニケーションのとりづらさや業務効率低下など)、勤務時間が長くなるなど、勤務状況が厳しくなった : 約47%
    • 仕事をする部屋や机・椅子、インターネット環境や、プリンター・コピー機などの環境が十分でなく不便だった : 約35%

このアンケート結果には、いろいろな論点が詰まっている気がします。アンケート結果から連想して、私自身が感じたことをいくつかの観点で挙げてみたいと思います。

効率化という観点

単純に、通勤が少なくなれば、そのための時間の削減にも通勤費用の削減にもつながります。どうしても現場に行かなければ成り立たない仕事は別として、本来自宅でもできるであろう仕事を自宅でできないという例はまだまだ多いように思えます。これはITと制度設計で改善可能なため、今後もぜひ進めるべきと感じています。

本アンケートでも「今後のテレワーク実施意向」に関する質問で「実施したい」という回答が81.5%という高い値となっており、個人的に人材紹介企業さんから「テレワーク希望の求職者が増えている」という話を聞くこともあります。「働きやすい環境=テレワーク」とは言い切れませんが、働く人達にとってテレワークの魅力は増してきていると言えます。

関わり合いという観点

業務上必要なコミュニケーションのスピード感欠如など、効率化に関するコミュニケーションの問題については、以前の投稿「 「with/after コロナ」におけるワーク・フロム・ホームを考える その1」で触れた通り、コミュニケーションに潜在的な課題がある状態のままワーク・フロム・ホームを始めてしまうことで、コミュニケーションが破綻してしまうため、注意が必要です。

また、以前の投稿「「Web会議で顔を見せること」のプラス・マイナスの影響を再考する その1その2その3」で触れた通り、必要に応じて顔が見えるコミュニケーションも欠かせません。このあたりも軽視せず、どうあるべきかを考えたいですね。

さらに、業務上必須ではない関わり合いの重要性も軽視できません。以前の投稿「 「with/after コロナ」におけるワーク・フロム・ホームを考える その2その3」などで触れた通り、関わり合いの減退による悪影響を今一度考慮し、コミュニケーションがどうあるべきかを検討する必要があると思っています。

労働時間を基準とした考え方の限界

現在の日本では、基本的に労働を時間で計測します。タイムカード、ICカード、パソコンの使用時間の記録等、「客観的な記録」を基礎とし、開始時間と終了時間から労働時間を計算します。しかし、この考え方は今後の働き方を考えると限界にきている気がしています。

自宅で仕事ができると、時間を柔軟に使うことができます。例えば、仕事の合間で親の介護をしたり、子供を寝かしつけてから再度仕事をすることもできます。現在多くの企業で「PCの起動時とシャットダウン時にログを取得する」という方法で上記の「客観的な記録」を実現していますが、仕事の開始と終了の間で家事や育児などをすることを考えると、現在の労働時間の考え方自体が合わなくなっている気がしています。

ただ、「労働時間ではなく成果で労働の量を測る」という方向には簡単にはいけないでしょう。一部の企業では実質成果主義になっていますが、日本の法律として考えると、「成果の測り方は?」、「過労死を防止する方法は?」など壁は多いため、限界が来ている中でもしばらくこの形は続くのかもしれませんね。

ちなみに弊社では、PCのログなども活用して労働時間を管理しつつ、実質は成果主義的な形を採用しています。過労死などの問題が生じるのは「辛くても辛いと言えない」、「上司に逆らえない」などの原因があることが多いと考え、弊社では「誰が偉い」などという官僚的な考え方を排除しています。これが絶対的な正解なのかはわかりませんが、今後も試行錯誤していきたいと思っています。

テレワーク可否の違いによる不公平感

「通勤が不要、または、通勤の負担が軽減された」という点をテレワークのメリットと答えた人が多かったのは納得感がありますが、そう考えると、社内に「通勤しなければいけない人」と「通勤しなくていい人」がいると、そこに不公平感が生じてくる気がしています。今までは「通勤するのが当たり前」、「通勤時間が労働時間に含まれないのは当たり前」という既成概念がありましたが、通勤時間を会社に拘束されている時間だと考えると、この当たり前の感覚が当たり前でなくなり、「通勤しなければいけない人」と「通勤しなくていい人」の間に不公平感が生じてくることになりそうです。

コロナ禍でテレワークが増えた時、「テレワーク手当て」などを検討・導入した企業もあったと思いますが、もしかすると「テレワークできない人が通勤で往復2時間ほど使っていることの手当て」の方が必要なのかもしれませんね。

仮にワクチンが十分普及し、新型コロナウイルスに打ち勝つことができたとしても、また別の感染症、地球温暖化、災害、マイクロプラスチックなど、テレワークを活用すべきタイミングはこれからもありそうです。試行錯誤の連続ですが、快適に働ける環境をこれからも模索していきたいと思っています。