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新型コロナウイルス問題から「働き方」を再考する その2

松田 幸裕 記


新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が、5月25日に全国で解除されました。それとともに外出する人が増え、通勤電車も徐々に混雑してきているようです。この生活の変化が新規感染者数の数字に反映されるのはこれからだと思いますので、今の外出頻度や各所の混雑が許容範囲なのかは、今後おぼろげに見えてくると思います。

いくつか思うところがありますが、その中の一つとして思うのは、「韓国のように行動履歴の収集や感染経路の追跡を行う仕組みを設けるのは、日本では本当に無理なのか?」というものです。
 現時点では発症していない感染者を特定することは困難なため、発症している感染者から濃厚接触者を特定し、感染拡大を抑えていくことが有効な手段になります。また、以前の投稿「新型コロナウイルス対策をデータドリブンの側面で考える その1その2」で触れたような、感染の傾向分析から新たな生活様式を見出すためにも、感染者や濃厚接触者の行動履歴は非常に重要なものになります。
 しかし日本ではプライバシーの問題でこの話は進まず、個人情報を持たない前提での中途半端な追跡の仕組みを導入するのが精いっぱいのようです。しかし、、、こんな大変な状況になっても、本当に国民はプライバシーの方が重要なのでしょうか?何百人もの人が感染で死亡し、失業者が何万人も増え、それとともに自殺者も増えていくであろう状況下でも、「それでも、移動した場所の履歴は国に渡したくない!」という国民の方が多いでしょうか?一律10万円の給付金をもらうときに銀行口座情報を国に渡すことには何の問題も感じないのに、「銀行口座情報は渡せても、移動した場所の履歴だけは渡せない!」と言うでしょうか?
 「プライバシーは重要」という既成概念が邪魔をして、可能性を否定してしまい、動く前にあきらめてしまっている気がしてなりません。

今回も前置きが長くなりましたが、前回の投稿「新型コロナウイルス問題から「働き方」を再考する その1」に続き、本投稿でもコロナウイルスに関連して、IT屋として感じる「働き方」に関するトピックに触れてみたいと思います。

今回のコロナ禍をきっかけとして、各企業におけるテレワーク実現に向けての環境整備がさらに加速していると思います。物理的にある場所に行かなければ仕事が成り立たない業務は別として、直接人と会わなくても仕事が成り立つ業務も多いため、それらの業務については在宅でのテレワークが選択肢の一つとして当たり前になっていくでしょう。
 しかし、テレワークには副作用もあります。
 自宅からでもメールやチームコラボレーションツールを利用してコミュニケーションができ、業務システムも利用でき、申請や承認なども紙が不要なプロセスになっていれば、自宅からでも効率をほとんど落とさずに業務はできます。しかし、組織は人の集まりです。人と人とが関わり合い、気付きを与え合い、その気付きから新たなイノベーションがうまれるという、組織における知識の創造もとても大切な要素です。

ハーバード・ビジネス・レビュー2020年6月号に、一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏と早稲田大学大学院・ビジネススクール教授の入山章栄氏の対談記事がありました。野中氏が提唱されたSECIモデルの重要性を再認識する内容で、興味深く読ませていただきました。
 SECIモデルは非常に有名な理論で、Webを検索するといたるところに説明が出ていますので、具体的な説明は省きます。知識の共有・活用によって優れた業績を挙げている「知識創造企業」がどのようにして組織的知識を生み出しているかを説明するため、野中氏らが示したプロセスモデルです。
 SECIモデルでは「共同化」→「表出化」→「連結化」→「内面化」→ … という4つの状態のサイクルをぐるぐると回り、暗黙知と形式知がどのように創造されるか、ということが説明されていますが、本記事では「現代の日本では形式知化が十分にできていない」ということが課題として挙げられています。それぞれの人が持っている気付きなどの主観を徹底的にぶつけ合うことで「共同化」から「表出化」へ向かい、暗黙知から形式知が生まれてくるのですが、それが現代の日本企業では十分にできていないということです。

私も同感です。企業内では人々の役割が細分化され、業務プロセスが定型化され、コミュニケーションも効率化され、会議も無駄が省かれ、全体的に「効率化」のみに比重が置かれているように思えます。今回のコロナ禍における対策としてテレワークが進められていますが、無意識の暗黙知を意識化して形式知にすることを組織として意識していかなければ、さらにこの課題は根深いものになっていくでしょう。
 具体的な方法については今後また触れていきたいと思いますが、テレワークを進める中でも気付きをぶつけ合う機会を無駄と位置付けて排除することなく、継続的な組織の知の創造を実現していきたいですね。