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人間は利己的なのか、利他的なのか その1

松田 幸裕 記


コロナウイルスの脅威が治まりません。経済への影響も深刻なため自粛をある程度のタイミングで緩めたいところですが、少しでも気を許せばコロナウイルスの感染は広がり、しかも治す薬が今のところない状態です。
 このような状況の中、必需品と言われるマスクやアルコール消毒液が不足しています。さらに、根拠のないデマによりトイレットペーパーやティッシュなどの紙類も品薄になり、また、不安増大からか長期保存できる食料なども品薄になる現象が発生しています。

紙類が品薄になった時、メディアではしきりに「デマなので、焦らず必要最低限の確保に留めましょう」と促していましたが、、、確かにそれはそれで重要なことですが、「自分のことだけを考えず、もっと自分以外の人のことを考えましょう」というメッセージがこのコロナウイルスとの長期戦において重要なものになる気がしています。こういう時だからこそ、自己中心的にならず他の人の痛みを考えて、皆でこの危機を乗り越えなければなりません。

そもそも、人間は利己的な生き物なのでしょうか、利他的な生き物なのでしょうか。
 本ブログはITをテーマとして扱う場所ですが、利己的・利他的な行動はITの情報系基盤が目的とする情報の共有や気付きの交換などに大きく影響するため、本投稿で利己と利他について触れてみたいと思います。

かなり前になりますが、以前読んだハーバード・ビジネス・レビュー 2012/2号「自分を鍛える 人材を育てる」に、「利己的でない遺伝子」という論文が掲載されていました。これによると、昔は「人間は利己的」と考えられていたようです。

1651年 哲学者トマス・ホッブズ「リヴァイアサン」 : 人間は利己的であるため、目先の自己利益を求めて傷つけあわないように政府が管理しなければならない。

1776年 哲学者アダム・スミス「国富論」(見えざる手) : 人間は自己中心的で、意思決定は費用と便益の合理的な比較に左右されるため、自由市場における人間の行動は公益に資する傾向がある。

しかし、本論文に記載されている協力行動に関するある実験では、「全体の30%が利己的、50%が利他的、20%が予測不能」という結果となっています。この他にも「人間は想定されていた以上に協力的で私心がない、あるいは自己中心的な行動を慎む」という証拠が見つかっており、人間には利他的な精神が宿っていることがわかってきています。

組織力を高めるために、ビジネスを成長させるために、多くの企業ではアメとムチで人を動かしてきました。ナレッジマネジメントというキーワードで情報共有などが促進された時も、やはり人事評価と紐づけて「情報共有を積極的に行った人は評価を高くする(=報酬を多くする)」というような決め事を設けてきた企業も多いのではないでしょうか。
 しかし、人間にはもともと利他的な精神が宿っていること、アンダーマイニング効果として説明されているように「外発的な動機付けが行われることによって自発的な行動が抑制される」という影響もあること、などを考えると、アメとムチではなく人間が持っている利他的な精神を最大限に引き出すという方向に、考え方を変えてみるのも有効なのではないかと思います。
 そして、社会としては、「私たちには利他的な精神が宿っている」ことを皆が意識できるようなメッセージを、各所から発信できればと思っています。個々人が周りの人の痛みを感じ、過剰な買い占めなどを行わない状況をつくっていきたいですね。